専門サポーターのご紹介

さえき生薬 代表
佐伯 幸信(さえき ゆきのぶ)
1984年生まれ/愛知県出身
【経歴/実績】
○がんばらなくても、自然と心と体がととのう ― 難病寛解の専門家
○難病歴20年の経験をもとに、難病歴10年以上の方を支える現役サポーター
○医学の専門知識がなくても感覚的にわかる、シンプルな「寛解メソッド」を伝えています
【提供中のコンテンツ】
○2025年4月より「難病サポートAI」の無償提供を開始
○2025年5月より「難病の地図」の無償提供を開始

私はこれまで、20年以上にわたって
難病と向き合いながら生きてきました。
入退院を繰り返す日々の中で、
「どうせ誰にもわかってもらえない」
「病気があるだけで、人生をあきらめるしかないのかな」
そんな気持ちを何度も抱えてきました。
でも今、こうして振り返ると――
病気は、私の人生にとって
深く自分を見つめ直すきっかけをくれた存在だったのです。
苦しかった時間の中にも、
少しずつ“希望の芽”が顔を出す瞬間がありました。
その小さな芽を大切に育てていくことで、
私はふたたび、自分らしい人生を歩き出すことができました。
だから、いまは同じように
悩みを抱える方の力になりたいと思っています。
私のサポートは、
症状だけに目を向けるのではなく、
「どうすれば自分らしく生きられるか」
を一緒に考える時間です。
病気を、ただの「敵」でも「治す対象」でもなく、
人生に意味をもたらす“問い”として受けとめること。
そこから始まる回復の道も、きっとあります。
もし今、あなたが苦しい渦の中にいても大丈夫。
あなたの中にも、まだ眠っている“希望の芽”があります。
ここから少しだけ、
私自身の歩みをお話しさせてください。
『あきらめ』の先にあった人生──難病と生きる旅の途中で
幼いころは「やんちゃ坊主」と言われるほど、
外で遊んだり、いたずらするのが大好きな子どもでした。
そんな私が、
病気とともに歩むことになるなんて、
当時は想像もしていませんでした。
青春のまっただなか、
私の人生は、“貧血”という小さな異変から始まりました。
その後、
毎日続く下痢と腹痛。
関節の痛み、痔瘻、膠原病の疑い…。
原因がわからないまま、
何年も体と心が削られていく日々。
1年以上の通院を経て、ようやく診断されたのは、
「クローン病」という難病でした。
──「前向きに生きれば、きっと病は治る」──
そう信じて、
体に悪いとされるものは一切口にせず、
ストイックに食事制限を続けました。
脳力開発教材を高額ローンで購入し、
“ポジティブ思考”を叩き込むように努力し、
自己啓発本を何十冊と読み漁りました。
それでも、病状は一向に改善せず。
不安の波は、心の深くでずっと渦を巻いたままでした。

やがて月日は流れ、
投薬治療を続けながら迎えた結婚生活のなかで、
夫婦の価値観のズレや、解けないストレスに心が押し潰され、
病状も次第に悪化していきました。
修復を願いながらも、
どうにもならない現実に心が崩れ、
気づけば自分を傷つける行為に及んでいました。
じんわりとにじむ痛み感覚を確かめながら、
私は人生で最も深い闇に沈んでいきました。
――そしてある時、ふと気づいたのです。
私はずっと「病と闘う」ことにばかり囚われていたのだと。
治療法を探し、食事を管理し、
思考を必死にポジティブへと矯正し続けて、
大切なものを置き去りにしていたことに。
それは――
“本当の自分の声”でした。
そこから、少しずつ変わり始めたのです。
迷いや弱さも抱えたまま、
ありのままの自分を受け入れてみる。
病と「闘う」のではなく、
病と「ともに生きる」という選択。
それは、静かに心を見つめ直すことで始まった、
私の“人生の再出発”でした。
不思議なことに、
心が整っていくにつれて、体も落ち着いていきました。
気がつけば、
私は「寛解」という穏やかな景色のなかに立っていたのです。

──病気は、決して“敵”ではありません。
それは、
人生がそっと差し出してくれた「問い」でした。
私はその経験をもとに、
難病とともに生きる方へ寄り添う“サポーター”として独立し、
心と体の両面から支える【対話型の寛解サポート】を始めました。
医療従事者やカウンセラーの支援が、
長期化する難病のケアに苦戦するなか、
難病経験者だからこそ気づける、
小さな違和感、繊細な感情、
言葉にしづらい「痛み」を、ていねいに受け止めながら、
その方自身の“人生の物語”が、
再び動き出す瞬間を見つめています。
「話すだけで安心する」
「困ったときにまず相談したくなる」
そう言っていただけることが、私にとって何よりの喜びです。
どんな難病にも、必ず“寛解”への道があります。
そして、症状が落ち着いたその先には、
「できない」とあきらめていたことに再挑戦できる日々、
人生を喜びとともに味わえる時間が待っています。
病と向き合いながら前に進む人が増えることで、
希望は静かに、でも確実に、広がっていくと私は信じています。
どうか、ひとりで抱え込まないでください。
あなたの心の奥に眠っている声に、そっと耳を澄ませながら、
あなたにしか歩めない道を、ゆっくり探していきましょう。
そのそばに、私は静かに寄り添い続けます。
…これが、私が難病サポーターとして歩み始めるまでの簡単なご紹介です。
なぜ「病とともに生きる」という視点にたどり着いたのか。
その理由は、
表には見えない葛藤や、ある決断の日々にあります。
少し長くなりますが、
もしご興味があれば、私の過去のストーリーをぜひ覗いてみてください。
長かった…!難病とともに生きた20年間
がんばらなくても、
無理に前向きにならなくても――心と体は、自然と整っていく道があります。
その道の在りかを、
私は難病とともに生きた20年間で見つけてきました。
ここでは、
なぜ私が医療や専門家の支援をほとんど受けず、
自力で寛解という穏やかな場所へたどり着くことができたのか。
そして、
なぜいま「難病サポーター」として生きる道を選んだのか。
少し長くなりますが、
もしご興味をお持ちいただけたなら、
きっとどこかで、あなたの心にも触れる部分があるかもしれません。
病弱な少年を変えた、たったひとつの出会い
小学生のころの私は、
ご近所の人から「やんちゃ坊主」と呼ばれるような元気な子でした。
病気ひとつせず、毎日外で走り回っていたような少年です。
ところが、中学校に入った頃から、何かがおかしい――。
いつの間にか、
体の重さや不調を感じるようになり、
気がつけば“病弱”と呼ばれるような存在に変わっていました。
運動はおろか、友だちと遊ぶことすらままならず、
心の中には「なんで自分だけが…」という不安がじわじわと広がっていきました。
そんなある日、人生を変えるような出来事が訪れたのです。
▶EPISODE.1
病気に悩む私が救われた瞬間
入院中の無謀ともいえる挑戦
私の難病人生は、まさに青春のまっただなかに始まりました。
それは、いきなりの“入院生活”からのスタートでした。

高校に進学してすぐ、体調の悪化により、
教室で仲間と笑い合うことすら許されない生活が始まったのです。
周りは部活に、恋に、受験にと走り出しているのに、
私はベッドの上で、痛みと向き合いながら季節を見送っていました。
それでも、私の心には静かに火が灯っていました。
「病気には負けたくない。」
そう強く願う気持ちが、次第に自分のなかで形を持ちはじめたのです。
そして、そのエネルギーの矛先が向かったのが――「大学受験」でした。
塾にも行けない。先生に質問もできない。
参考書を片手にベッドの上で独学、まわりから見れば、無謀としか言えない挑戦でした。
けれど、私にとってそれは、
“生きる意味”そのものだったのかもしれません。
「誰にも理解されなくてもいい。やってやる」
その思いだけで、痛みをこらえ、眠気を払いながらページをめくり続けました。
結果は――。
すべてが報われるような合格ではありませんでした。
けれど、そこに確かにあったのは、自分の意思で立ち向かったという実感。
病気のなかで「自分の意志で選び、進む」経験をしたこと。
それは、これから続いていく長い難病人生の土台になった気がしています。
▶EPISODE.2
難病患者の初めての挑戦
大学生活という夢と、崩れていく日常
義務教育を終え、
私はようやく夢にまで見た大学生活へと足を踏み入れました。
あれほど苦しんだ日々の後だったからこそ、
この場所にたどり着けたことが、まるで奇跡のように感じられたのです。
「私の人生は、ここから順調に進んでいく」
根拠のない自信が、胸のなかで力強く鳴っていました。
好きなことを自由に学べる。
仲間と語らい、時にバカをやって笑いあえる。
バイトもして、自分の力で生活を支えていける。
そんな「当たり前の日常」が、まるで宝物のように輝いていました。

何をやっても楽しかった。
未来は開けている。
自分はもう“病気の過去”を超えたんだ。
そう、信じていたのです。
――でも、現実はそう甘くありませんでした。
突然、体が悲鳴を上げはじめました。
目まい、腹痛、止まらない下痢、関節の痛み。
一つ一つは見過ごせても、それが重なれば日常は簡単に崩れます。
誰にも言えず、笑顔の裏で限界を感じながら、私は必死に「普通」を装っていました。
楽しいはずの大学生活のなかで、
私は再び“病”という名の暗いトンネルへ、足を踏み入れていったのです。
▶EPISODE.3
難病患者が夢見た大学生活
崩れても、生きる意味は手放さなかった
人生とは、何かを乗り越えたと思った瞬間に、
まるでその裏をかくように、次の試練を差し出してくることがあります。
「順調だ」と思っていた私の大学生活。
その裏で、再び身体は静かに蝕まれ、
ついには日常生活が難しくなるほどの悪化が訪れました。
通学もままならず、部屋に閉じこもる日々。

これまで築いてきたものが、一つまた一つと崩れ落ちていくようでした。
「せっかくここまで来たのに、また振り出しに戻るのか…」
悔しさと無力感、焦りと怒り。
そして何より、誰にも理解されない孤独が、静かに心を侵していきました。
でも、その中でも、私はまだ諦めていませんでした。
「やるからには、徹底的に、やる。」
それが、自分の中にある小さな炎のような信念だったからです。
その姿は、もはや「治したい」を通り越し、
どこか“救われたい”という叫びに近かったのかもしれません。
ただ一つ言えるのは、
ここで「立ち止まらなかった自分」がいたからこそ、私はこの先の“本当の気づき”に、たどり着くことができたのだと思います。
▶EPISODE.4
ありのままを生きる難病患者
社会に立った日、孤独の意味が変わった
難病を抱えたまま、いよいよ私は「社会」という世界に足を踏み入れました。
就職活動。
正直、どこかで「きっと理解してもらえるはずだ」と思っていました。
病気のことをきちんと説明すれば、誠実に向き合えば、
誰かが「大丈夫ですよ」と言ってくれるはずだと。
でも現実は、そんなに優しくはありませんでした。
面接で病気のことを話せば、表情が変わる人もいた。
回数を重ねるごとに、私は“何か”が少しずつ壊れていくのを感じました。
「社会って、こんなに冷たいものだったんだ」
あのときのショックは、今も胸の奥に残っています。
でも同時に、私は少しずつ気づきはじめました。
誰もが、自分の人生で精一杯生きている。
だからこそ、誰かの苦しみにまで想像を巡らせる余裕がないのかもしれない。
それは悪意ではなく、ただの「現実」なのだと。
その現実の中で、じゃあ自分はどう在るべきか。
難病があるからこそ、
できる働き方や役割はないか――そんなふうに考えるようになったのです。
悔しいことも、寂しいこともあったけれど、
あの時期があったからこそ、私は「他者との関わり方」を根本から見直すことができました。
「わかってほしい」だけでは伝わらない。
でも、「わかろう」とする姿勢は、きっと伝わる。
そう信じられるようになったことが、
この頃の私にとって何よりの一歩だったと思います。
▶EPISODE.5
難病とともに生きる社会生活
はじめて、自分の病を“特別”と思わなくなった日
長いこと、私は「人には恵まれてきた」と感じていました。
体調が悪くても、
周囲には理解しようとしてくれる人たちがいたし、
自分の努力次第で、人生は切り拓ける――そう信じていたのです。
でも、ひとつだけ、ずっと苦手に感じていたことがありました。
それが、「パートナー探し」でした。
正直、難病を抱えた自分が、誰かと人生をともにするなんて、
どこかで“無理だろう”と諦めていたのかもしれません。
けれどあるとき、思いがけない出会いが訪れました。
それは、「これまでのどんな経験とも違う」と感じるような、不思議なご縁でした。
価値観のすれ違いや不器用なすれ違いは、もちろん何度もありました。
でも、病気を持つ私の存在を「特別なこと」として扱わない人でした。
「病気があるから」とか「かわいそうだから」ではなく、
“人として”向き合ってくれるその姿に、私は何度も救われました。

そしていつしか、
私の中で「難病」という言葉の重みが、ほんの少しずつ、変わっていったのです。
「これも、私の一部なんだな」と、
以前よりも自然に受け止められるようになっていました。
この頃からでしょうか。
病気そのものだけでなく、
“生き方”としての難病というものに深く目を向けるようになっていったのは。
▶EPISODE.6
難病患者の生涯のパートナー
全部うまくいくと思ってた、あの日までは
「やっぱり、私の人生はうまくいっている」
そう思えていた時期が、たしかにありました。
難病はまだ完治していなかったけれど、
人生のパートナーと出会い、未来を信じられる毎日があった。
仕事にも打ち込み、生活にも張りがあった。
笑い合える時間があり、心の支えがあった。
――だから、もう大丈夫だ。
心のどこかで、そう確信していたのです。
けれど、現実はあまりにも脆いものでした。
小さなすれ違いが積み重なり、やがて関係に深い亀裂が入りました。
「どうして、うまくいかないんだ…」
願っても、歩み寄っても、修復は叶いませんでした。

どうにか心を保とうとしていた私は、
ある日、自分でも気づかぬうちに、自分を痛めつけていました。
じんわりと痛むその感覚だけが、現実に自分をつなぎとめているようでした。
それは、人生で二度目のどん底でした。
ただ、今回のどん底には、以前とは違う“気配”がありました。
悲しみや苦しみのなかに、どこか静かで確かな何かがあったのです。
――もう一度、自分の生き方そのものを見直す時がきたのかもしれない。
崩れた関係も、壊れた心も、きっとすべてが「サイン」だったのだと。
この体験を境に、私は少しずつ変わっていきました。
それまで外へ外へと求めていた“答え”を、ようやく「自分の内側」に探しはじめたのです。
▶EPISODE.7
人生最大に挫折する難病患者
壊れたのは関係じゃなく、私の心のバランスだった
ある日、夫婦のあいだで起きた、ほんの些細なすれ違い。
最初は、「まあ、よくあることだ」と受け流していました。
けれど、それはやがて深刻な問題へと育っていきました。
「こんな小さなことから、大きな壁ができてしまうなんて」
そんな思いが心のなかで何度もよぎりました。
繰り返す衝突、噛み合わない価値観。
思いを伝えても、相手の中には届かない。
やがて私の中にも、あきらめに似た感情が生まれはじめていました。
関係を修復したいと願うほどに、すれ違いは深まり、
やがて私の心は、どこにも居場所を感じられなくなっていったのです。

それでも、どこかで気づいていました。
この関係のほころびの奥に、
「自分自身のあり方」が映し出されていることに。
どうして私は、こうまでして頑張ってしまうのか。
どうして、“わかってもらおう”と強く求めてしまうのか。
どうして、「正しさ」にしがみついてしまうのか。
相手のせいにするのではなく、
ようやく自分の奥にある“何か”と向き合う準備が、整ってきていたのかもしれません。
そして、そんな葛藤の中でふと気づいたのです。
――あれ?
難病に対する「ある兆し」が、静かに現れはじめている。
関係の揺らぎと、自分の内面の見直し。
それらが重なったある日、
私の中に、はっきりとした“インスピレーション”が生まれました。
それは、ただの思いつきではなく、
この病とともに生きてきた私自身から、湧き上がるような確信でした。
▶EPISODE.8
夫婦生活に失敗する難病患者
病と闘わない選択が、私を自由にした
社会人になり、経済的な自由を手にした私は、
難病を克服するために、惜しまずお金と時間を使ってきました。
サプリメント、治療法、健康法、代替療法。
「これで治るかもしれない」と聞けば、すぐに飛びつき、自分なりに研究と実践を重ねました。
最初のうちは、それが「希望」になっていました。
努力が結果に結びつくはずだと、信じていたのです。
でも、ある時から――
私の身体が、まるで何かを拒むように反応しはじめました。
食べ物を受けつけない。
気力が湧かない。
原因もわからないまま、体調はどんどん崩れていきました。
「私、何かおかしくなってる…?」
科学で説明のつかないような不調が次々と起こり、
これまでの知識や方法がすべて無力に思えるようになりました。
精神力には自信があった私です。
これまで何があっても「気持ちで乗り越える」と信じてきたのに、その心までもが、音を立てて折れていったのです。
長い間、壮絶な時を過ごしました。

けれど、不思議と――そのすぐあとに、静けさがやってきました。
もう、治そうとしなくていい。
もう、努力しなくていい。
もう、闘わなくていい。
その時、私はようやく自分の内側の深い声を聴くことができました。
「もうがんばらなくていいよ」と、
まるで誰かにそっと抱きしめられるような、そんな感覚でした。
それは、敗北ではありませんでした。
あきらめたその瞬間、
私の中に「ほんとうの安らぎ」がはじめて芽生えたのです。
▶EPISODE.9
闘病をあきらめた先の静寂
「治す」を越えて、生き方になった瞬間
あの壮絶な静寂を越えたとき、
私はふと、「自然界」に目が向くようになっていました。
太陽の動き、風の流れ、水のぬくもり。
それらは、何も言わず、ただそこに在り続けてくれていました。
ヒトという存在が、あまりにも複雑に考えすぎてきたこと。
正しさや完璧を追い求めるあまり、
本来そなわっていた“感覚”から、ずいぶん離れてしまっていたこと。
ようやく私は、気づいたのです。
――最初から、すべてはここにあった。
私がこれまで苦しみのなかで探し続けてきた“寛解”や“癒し”は、
自分の外のどこかではなく、自分の内側と、自然の流れの中にあったのだと。
それは、科学や理屈では説明できない“確信”でした。
そして、そこから私は「難病」というものに対する視点が大きく変わっていきました。
難病は、ただ“治すべきもの”ではなく、
自分を見つめ、人生を深めていくための、大きなサインだったのかもしれない。
そう思えたとき、私の中にあった「宿命」という言葉が、やさしく、静かに響いたのです。
もう、抗わなくていい。
もう、焦らなくていい。
ただ、自分のままで、人生を歩めばいい――
そうして私は、自らの経験を通して、
「難病解消」という新たな世界への道を歩みはじめました。

それは、誰かに与えられた使命ではなく、
自分の奥深くから静かに湧き上がってきた、生き方そのものでした。
▶EPISODE.10
難病から宿命に辿り着く人生
この体験のすべてを通して、
私は「難病サポーター」として生きていくことを選びました。
難病は、人生の終わりではありません。
それは、もう一度“ほんとうの自分”に出会う、始まりなのかもしれません。