-人生-EPISODE.3

難病患者が夢見た大学生活

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私の難病人生は中学時代から始まりました。

毎日元気に外で遊ぶ、ごく一般的な少年でした。

そこから一転、原因不明の難病を患い、
20年間、未来に希望を持てない人生でした。

そんな私が人生を好転して
“自らの宿命の道”に気づき、

すこやかで愉しい人生を送るまでの
人生EPISODEです。

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新たな人生の第一歩

理想のキャンパスライフといえば
どんなイメージを浮かべますか?

・悠々自適に学べる環境
・語り合える仲間
・未来の夢への挑戦

義務教育ではない大学の
存在意義とは何なのでしょう。

私は科学者として
社会に貢献したいと思い、
“化学”という分野を専攻しました。

人生の新たな1歩を歩める
嬉しさとともに、

大学生活の幕が上がりました。

 

夢見た大学生活

大学生ともなると、
選択肢の範囲が広がります。

・学業
・アルバイト
・サークル活動

どこまで活動の範囲を広げるかは
個人の自由です。

いままで難病患者として
窮屈な学生生活を送ってきた私は
世界の広がりを感じました。

『夢見た大学生活』

がそこにはありました。

大学1年から講義と並行して
サークル活動、アルバイトを
掛け持ちし始めました。

どれも刺激的で、
寝る間も惜しんで楽しみました。

でも、
ひとつ肝心なことを忘れていました。

私は“難病患者”だということを…。

 

ゆく手をはばむ難病

大学の講義が終わってから
アルバイトに勤しみます。

夕方からの勤務なので
仕事終わりは深夜帯。

その後、仕事仲間と
食事に行ったり遊びに行ったり。

今更ながら、
よくそんな生活していたなと
思いますが若気の至りです。

しかし、
体を蝕む難病は黙っていません。

だんだんと炎症がひどくなり
遂には腹痛で眠れなくなるほど
病状が悪化してしまいました。

それでも体に鞭を打つように
アルバイトに行くわたし。

仲がいいパートの方から

「顔が青ざめているけど大丈夫?」

とよく言われていました。

そのくらい体の状態は最悪でした。

そして、
私の体も限界に達し
入院することになってしまいました。

 

またか…。

地獄に堕ちていくような感覚でした。

周りのみんなは健康で楽しそうなのに
なんで私はこうなってしまうのか。

私は人生楽しんではいけないのか。

なんだか
真面目に生きてきたのが
馬鹿らしくなってきたのです。

そこから
私の大馬鹿な人生が始まりました。

すると、
『こんな生き方もあるんだ』と
なんだか気が楽になってきました。
 

 

馬鹿になって生きてみる

あれもこれも
しっかりやらなければならない。

確かに
きっちりやることは大切です。

でも、完璧な人なんていない。

出来ないことは
自分を消してまで
やらなくていい
んです。

この発想が
「難病から人生好転する秘訣」の
内容に反映されています。

難病を治すことができれば最高だけど
必ずしも治さなくてもいい。

難病を持っていても
人生を変えていくことはできる

どうするかはその人次第。

 

病気ではなく“人生”を軸にして
サポートを提供する

「難病サポート事業」は

難病根治を目指していますが
それは結果でしかありません。

難病患者の人生を好転していく過程で
難病根治という結果がついてくる。

それが
わたし独自の考え方です。

 

過去最悪ともいえる難病悪化の末、
楽しいはずだったキャンパスライフは
どうなってしまうのでしょう?

人生山あれば谷あり、
闘病の道はまだまだ険しく続きます。

 

~EPISODE.4へ続く~

 

 


 

いかがでしたでしょうか?

難病を患う方に限らず、
病気にまつわる苦しいエピソードは
誰しもあると思います。

「そんな苦しい話はしたくない」
と思うかもしれません。

でも、
自分の内にしまっておくのではなく、
自分の外に出すからこそ

「あぁ、こういうことが自分に
 起こっていたんだ」

と、見えてくるものがあります。

ぜひ、ご縁があった際には
あなたのエピソードを聞かせてください。

最後まで読んでいただき
誠にありがとうございました!