闘病 STEP.4

難病患者の人生は不幸なのか

人生とは理屈ではない

難病の痛み、苦しみを
抱えながら生きていると

「なんで私なのか」

と人生について深く考えるシーンは
数えきれないほどありました。

ポジティブ思考でマインドを
ととのえようとして、

上手くいったような場面はありました。

 

でも実際のところ、
精神にマインドを上塗りしただけで

“本当の私”は満たされていないという、
何とも言えない気持ちを
感じるときがありました。

人によってはポジティブ思考で
難病を克服された方もおられます。

しかし、
それは原因と結果を直線的に
つなげただけにすぎず、
大事なことが抜け落ちています。

“人生”とは理屈ではありません。

難病が治ったからといって
幸せとは限らないのです。

 

でも、
これはあくまで私目線の話です。

本人が「これでいい」と言えば
周りがどうこう言おうが
関係のない話なのです。

(難病があっても幸せと言っている
 人はたくさんいます)

それでは、
病気を患った人生は
幸せなのか不幸なのか、

どちらなのでしょうか。

 

幸せにはかたちがない

そもそも不幸と言うのは

“幸せではないこと”

と定義されています。

じゃあ、“幸せ”ってなんでしょう。

幸福なこと、
運が良いこと、
不満がないこと、

と具体的な形では表せないものです。

あなたの中に「これ!」という
幸せのかたちはありますか?

「私の人生の幸せはこれ!
 これが叶えば人生終えられる。」

と心から言える人は少ないでしょう。

それくらい、
現代は幸せのかたちが多様化しています。

 

ただ、難しい話、
人は病気がどうとかではなく、

他人との比較の中で
自らの人生を幸か不幸か判断しています。

この、幸せというイメージは
社会生活において存在している観念で

自然界には存在しないものです。

 

障害が起点となる人生もある

例えとして、
ある偉人のお話をします。

『絶望のどん底にいると想像し、
 泣き言をいって絶望しているのは、
 自分の成功を妨げ、
 そのうえ、心の平安を乱すばかりだ』

という言葉を残した、

千円札にも採用されたことのある
「野口英世」の人生をご存知でしょうか。

 

幼少期に囲炉裏に落ちて左手に火傷を負い、
指が癒着して“こぶ”のように
変形してしまいました。

その後、
手術は受けましたが完治はしませんでした。

それがきっかけとなり、
医学の素晴らしさに感動を覚え
医師を目指すことになります。

しかし、
左手が不自由だったことで、

医師として必須の打診ができず、
細菌学者としての道を選びました。

 

「いつ寝ているのかわからない」

と言われるほど、
研究に没頭していたと言われています。

野口英世の人生は、
まさに、障害を持っていることが
起点となった人生と言えます。

野口英世の人生をいまご覧になって
どう感じましたか?

冒頭で申し上げましたが、
人の幸せというのは
その人がどう感じているか
に尽きます。

 

 

人生の本質は内側にある

難病が起点となって
大きく人生が変わる
こともあります。

難病を抱えながらも必死に生きている
あなたを見て、

勇気をもらえる方も少なくないはずです。

難病を克服した、
社会的に成功した、

などというのは人生における
ひとつの要素にすぎません。

人生の本質とは
あなたが“あなた”を
生きているか、にあります。

もし何か思うところがあるとすれば
人生を見つめ直す今がまさに
そのタイミングかもしれません。

 


 

いかがでしたでしょうか?

難病を宣告され
痛み苦しみの中を生きている。

言葉では何を言われようと、

「未来が見えない」

と感じてしまうものです。

では、
難病を患ってしまうと、
未来はないのでしょうか。

次回STEP.5は、

難病患者に未来はないのか

をお伝えします。

今回のお話は以上です。

 

最後までお付き合いいただき
誠にありがとうございました!