自然 STEP.6

難病でも自然体で生きられる

想像では実感できない

前回のSTEP.5

「そのままのあなたで
 生きてみてください」

とお伝えしました。

なんとなく言いたいことが
伝わったでしょうか。

何となく理解できたけど
よく分からない方が
多いのではないでしょうか。

それは、あなたがまだ
体験していないからです。

自然体で生きるのが良い理由は
いくらでも説明できます。

でも、
本当の理由は体験したものにしか
分かりようがないのです。

今回の記事は
あなたが実際に体験したと仮定して
読んでみてください。

 

流れの中で生きてみる

「人生」という流れの中で
あなたにとって“障害”と
感じることが起きたとします。

そのとき
あなたはどんな行動をとりますか?

あなた自身の過去の経験を
踏まえてイメージしてみてください。

 

どんなイメージが出てきましたか?

 

まず、
“障害”と感じる前から
あなたの中でその事象に対する
判断を行っているはずです。

「これは障害ではなく“試練”なんだ」

とポジティブにとらえたとしても
同じことです。

人は目の前に現れた事象に対して
判断を下します。

それが悪いことではなく、
あなたが生きるために
必要と感じているからです。

身に起こる災いに対して
対応を間違えれば
生死に関わってしまう、

あなたが生きるための
″生存本能”です。

 

でも、
よく考えてください。

日常に起こることのなかで、
本当に命に関わるようなことは
ほとんどないはずです。

現代が″縄文時代”であれば
確かに毎日がサバイバルかもしれませんが、

少なくとも、
いまこの記事を読んでいるあなたは
生きることが保証された状態で
生活しているはずです。

だけど、
「難病」というよく分からないものが
日常を支配している感覚がある、
そんなイメージでしょうか。

 

ここで大事なのは、
難病も含めて
あなたの人生の流れに沿って
生きてみるということです。

それは、
どんな人生のイメージでしょうか?

 

私がここであれこれと
発言してしまうと、

あなたのイメージの邪魔を
してしまうので深くは言いません。

あくまで
あなたがイメージしたものを
大切にしてください。

 

無数に分岐する流れ

参考までに、
代表的な日本中世文学である、

“方丈記(ほうじょうき)”

で例えてみます。

冒頭文を少し紹介します。

―――――【原文】――――――

ゆく河の流れは絶えずして、
しかももとの水にあらず。

よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消えかつ結びて、

久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人と栖(すみか)と、
又かくのごとし。

―――――――――――――――

―――――【現代語訳】―――――

流れ行く川の水は
途絶えることはないが、
しかしもとの水ではない。

よどみに浮かぶ水のあわは、
消えたり結んだりして、
久しくとどまっていることはない。

この世のなかにある人と住居も、
やはり同じことなのである。

―――――――――――――――

ひとつのレールのように
見える人生も、

川の流れのようにさまざまな
動きが合わさり流れています。

例えば、
目の前に岩が現れたら
あなたはどうしますか?

一生懸命になって、
その岩を砕きますか?

岩があることで
新しい流れも起きます。

必ずしもその岩が
あなたにとって悪いものか
その時点では分からない
のです。

 

 

自然界には抗う選択がない

自然界に存在するものは
すべてにおいて
抗うことを知りません。

それが生きることに
繋がる
からです。

生きること、

生かされること、

自然界全体として
大きな流れを解っているからこそ、

それに抗う選択が
そもそも無いのです。

それが
“自然体で生きる”
ということです。

もしピンとこないようでしたら
山に流れる川を訪ねてみてください。

何かヒントを
つかめるかもしれません。

 


 

いかがでしたでしょうか?

自然体で生きるの
意味が何となくわかって
きたような気がしませんか?

では、
自然体で生きると
人はどうなるのでしょう。

私の経験も含めて
お伝えしていきます。

次回、STEP.7は

『難病なのになぜか愉しい人生』

をテーマにお話しします。

 

今回のお話は以上です。

最後までお付き合いいただき
誠にありがとうございました!